HAGURE OTAKU DAYS

積極的に堰を切っていきたい

はぐれたオタクの推しについてのお話

またお会いできましたね!もしくは、はじめまして。
 
 
ちよです。
 
MeseMoa.ファン(イルミィ)25名によるアドベントカレンダー企画「ヲタのしみクリスマス2018」はご覧になっていただけましたでしょうか。
25人が25の心でもって彼らへの思いを綴る25日間。先日企画はめでたくフィナーレを迎えました。
私は基本的に好き勝手ひとりでふらふらしている人間なので、企画に誘っていただいたときからドキドキをおさえきれず、自分の担当日までに次々と上がる愛のこもった素敵な記事にいたく感動しながらも途轍もないプレッシャーで息も絶え絶えだったわけなんですけれども、今となっては喉元過ぎればなんとやら。貴重なよき体験をさせていただいたなと思っています。
 
お誘いくださったなつみさんありがとうございました。(私信)
 
 
私の記事はこちら。
 
そのテーマがですね、「2018年の推し、2018年のわたし」ということだったんですが、
 
私、推しの話全然できていないのでは…?????疑惑。
 
 
いや本当は疑惑じゃありません。確信というか、しっかり自覚もあるんです。
普段からTwitter等でも目立った推しの話というのが特にないんですよね。いや意図的に減らしているというわけでもないんです。でも確固たるアピールができるほどに語れていないというか。
フォロワーさんにも「黄推しかなと思ってました」(アイコンの背景が黄色)とか、企画のブログを読んで「水色推しだったんですね」なんて言われたりして。
 
言われながら「わかります~~~~~」って思っちゃう自分も居て。
 
すごくこの、2018年も終わろうとする今、思うんです。
これは由々しき問題ではないかと。
へらへらしていていいのかと。
 
いやだめですわ!!!!!!!!!!(スパーン!)
秒で答え出る。超絶愚問!!!!!!!!!!
駄目ですこれじゃ駄目なんです。ごめんなさいしってた!!!!!!!!!
 
 
というわけで、今日は推しである気まぐれプリンスさんについてあれやこれや考えたいと思います。
(2018年の、と冠するほど私はきっと彼のことを語れる材料を持っていない気がしますのでそこは今回そっと脇に置かせていただきます)
 
 
そもそも私は箱推し気質というかDDというか、ひとりひとりいいよね~って思っちゃう方の人間です。
DDのDDなんじゃないかなと思ったりもしますし、それぞれの魅力をほいほいキャッチしてはおいしくいただくのが喜びみたいなところがあります。好き好き言うのって楽しい。嬉しい。幸せ!!
もともとむすめん。を好きになった結成当初は推しらしき人もおらず、仲が良い男子たちが楽しそうにしているのをほほえましく思っていました。個々というよりは『かわいいの集合体』のように思っていたのかもしれません。(まあそれもそうなんですけど)
当時はアイドル文化にも慣れていませんでしたのでバージョン違いでアルバムが出ることに驚き、どれを買うべきか結構悩んだ覚えがあります。(当時はバージョン違いをすべて購入するという感覚すらありませんでした)
 
しかしオタクに戻ってきたらどうでしょう。
 
これは一択だと思いました。
まるで彼がスポットライトの真下にいるように見えました。
 
未だに「推し」って正直なところなんなんだ?と定期的に考え込んでしまうほど概念をあやふやにしか習得できていない私ですが、それでもそう呼ぶのは「彼だ」と思いました。
動画を見ていても、自然とそこに目が行ってしまう。ほかの人を見ていたはずなのにフォーメーション移動ですれ違った瞬間すり替わっていることも多々あります。人間には快を求める傾向が備わっているといいますが、確かに理屈ではない、もっと奥深くの、抗う術すら持たない領域の、もしかしたら「本能」みたいな部分が反応しているような気さえするんです。
 
しかしそれを表現しようとすると、途端に言葉に詰まってしまう。
 
『拙い表現でも、言葉にすることが大切』だと、心の底から実感して実践しようと心に決めたはずなのに。
 
『言葉にしない』は『ない』と同じだって、わかったはずなのに。
 
何故なのか。
 
まず思いつくのが『語彙力の敗北』です。
自分の持てる手狭な語彙の中から一生懸命自分の感覚に合う言葉を拾って来ようとはするのですが、どんな言葉を当てはめてみても恐ろしいほどしっくりこない…!!!!!時に砂を噛むような違和感すらおぼえます。
 
最早言語化するより素手で太鼓とか叩いた方が胸の高鳴りを表現できるような気さえします。ドコドコドコドコドコ!!!!!(うるさい)(そもそも太鼓の使い手でもない)(才能があれば…?)(そういうことでもない)
 
いや、そもそも言語化したくないわけではないんです。
全然。むしろその辺の欲求は割と旺盛な方だと自負しております。
 
色んな人に好きなところを見出すのが好きですが、それぞれ好きの持ち方というか、自分の中の景色が違うように感じます。
彼を好きというのはものすごく細かくて大量の感情が瞬時に生まれて飛び出して巨大な球体を作るような感覚です。次から次に生まれるけれど、あっという間に集約されてもう立ちふさがる壁みたいになってしまって噛み砕こうにも歯が立たない感じとでも言いましょうか。それを分解して言語にするのはとにかく困難を極めます。
だからぶつぶつ言いながら選びに選んでいる間にどんどん時間が過ぎていってしまうというのが一番近い感覚。
そうしている間にほかの水色推しさんの素敵で的確な表現に触れて「超絶同意」っていいね押してたらもういいかなみたいな気持ちになっていたり。
 
よくない。
 
きっとうまいこと言おうとする自意識ばりばり出ちゃってるし、人の意見に同調しつつ自分の言葉引っ込めちゃうのが癖みたいになってるんです。
応援するにあたってこれって本当に不要だなって思うんですよね。
 
そりゃうまいこと言えるのに越したことはないと思うんですが、
 
やっぱり「数」って大事だと思うので!!!!!
 
だからひとつでも彼を好きという声を増やすためにもまずこれをやめますね。
 
数にすらなれないのは避けたい。あとやはり反応の早さというのも大事だと思うのでその訓練のためにも、どんどん好きを表現していかなければ!!(決意)
 
 
そして、語彙という点で思い当たるのがもうひとつ。
 
私は彼の人柄や歌声やその容姿ももちろん好きですが、その中でも踊る姿を見られるのが一番「快」を得られる時間だと思っています。
彼の体を通して作り出される、すべてが詰まっているその時間が極上だと思っています。
 
しかし、ここで問題となるのが「私のダンスの知識の乏しさ」
というか私はおそらく細胞レベルでダンスの才能が皆無な部類の人間で、まず振付が全然覚えられません。(記憶力の問題な気もしますが)踊ってみたは好きでしたが、「すごい動き」「なんか好き」「もう一回見たい」というざっくりとした感覚のみで浸かっていったので、本当になんと言ったら良いのかわからないんです。これを解消するにはどうしたらよいのでしょうか。まずはド下手くそでもいっそ踊ってみたらいいんでしょうか?????(真顔で錯乱)きっとものすごく滑稽な、振付とかけ離れた動きになることはわかっているのですがそんな考えに及んでしまう程この辺は結構真剣に思い悩んでいます。
呼び方のわからない手振りに、名前すら知らないステップ。どういう理屈でそのターンが綺麗なのか、他の人とどう違うのか、彼の振付が素敵なのはなぜなのか、やってみたら少しは覚えることができて、表現しやすくなるのでしょうか?????
 
 
教えて誰か…!!(悲痛)
 
 
でもそんな素人以前の問題の私でも、彼のダンスは他の人が真似できない世界観を持っていることがわかります。
軽やかなのに芯から力強く、繊細でしなやかで艶があって、優しいのに薄い刃のように研ぎ澄まされていて。
パフォーマンスがはじまる時の、スッと一呼吸で凪ぐあの雰囲気の温度差が愛おしい。時に頬に移るような熱っぽさで、そして時には背筋が粟立つような冴え冴えとした鋭さで。一気に引き込まれるあの瞬間、私は自由になれるんです。
彼のパフォーマンスを見ると、普段は一生懸命抑え込んでる心があっという間に手綱を切って子どものように走り回るような心地になります。羽だって生える気がします。
とにかく一秒だって逃したくないし、動きを追うというただひとつだけに没頭する感覚がこんなに心地の良いものなのかって思うんです。
 
今年の札幌でのフリラを見たとき、私は「笑うような泣くような」顔で立っていました。
ほんの少し。本当に、あと少しのところまで涙の気配は迫っていたのに、乾いた鼻の痛みだけがひどく増して、涙はついぞ零れることはありませんでした。
でも、やっぱり泣きたかったなって思ったんですよね。
どうして私はこう、いつも涙をこらえてしまうんだろう。あそこで涙を流せていたら、と思う場面は今までの人生でいくつもありました。
 
一方、推しである彼は感極まって涙を見せることも多いし、思いっきり笑うし、とても感情表現が豊かな人です。そこにものすごく惹かれる自分が居て。みんなの前で素直に感情を出せるのって、強さだと思うんです。
そのくせ、パフォーマンス中に足が攣っていた時には一切笑顔を崩さなかったりもしますし。(これは去年の話です)
そういう、素直な心とプロ根性といいますか、信頼できる気概といいますか。
 
彼の「仕事」「パフォーマンス」「アイドルである自分」についての考え方には一本しっかり血の通った芯が通っている感じがします。もちろん悩むこともあるだろうし、彼なりに揺れることもあると思います。けどファンに精一杯の優しさを向けてくれているのがわかります。彼を構成する要素のどれかひとつでも違っていたら、私は彼をここまで推していただろうかと考えてしまうほど、絶妙なバランスで成り立っている彼の魅力。
 
「アイドルをさせてもらっている」と彼はよく言います。配信で「ステージに立ちながら自分のことではないみたいだと思うことがある」とも話していました。きっと真面目な彼は、こうしてステージに立つことを心のどこかに憧れとして持ちながらも、保育士として働く未来を想像してすごしていたんですよね。
Maze No.9で見せた「保育士」である彼の姿は、まぎれもなく夢であっただろうし、彼の中で現実味のある「現在」だったのかもしれない。それはそれで、しあわせだったんだと思うんです。
 
私は彼に、大前提としてしあわせであってほしいと願っています。(彼だけでなく、DDの人みんなに思います)
だから、今彼らがしあわせなのか、というのがアイドルとしての彼を応援していて非常に気になるところなのです。
もちろんステージに立つ姿が好きですし、表舞台から降りてしまっては「しあわせ」かどうかもわからなくなってしまうし、言ってしまえば今しあわせであるかなんて見てたってわからないんですけど!!!!!
 
MeseMoa.の仲間と一緒にいる彼の姿が、「しあわせ」に見えるのはきっと、間違いではないはず。
 
そう思えることが、今すべてで。
 
それをやっぱり、見ていたいなと思ってしまうから。
 
応援させてほしい。
 
結局、ファンのエゴたっぷりの話なんですが、とりあえずこんな感じで今思うことは、
 
来年から私は、「あ、水色推しですよね」ってバシーーーッと言ってもらえるくらい頑張って表現しよう!ってことですね。
 
別に水色推しだと主張したいわけではないんです。むしろ箱推し感(?)はどっちかというと出していきたいのでそれはそれで続けながら、もっと自分の中の推しへの気持ちに噛り付いて「好き!」を発信していきたいと思っております。
推しへのリプも頑張ってしてみようかな…。
 
 
って、こんなこと言っておきながら推しの写真集が出た暁にはヒトの解する言語を発せるかどうかもわかりませんけどね!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
(2019年にはソロ写真集が出ると信じて疑ってません)(しばらく叫んで声が枯れたあたりで細々と喋りだすかもしれません)(その前に己の気持ちが内から爆ぜてしまう恐れもある)(とりあえずイメトレしときます)
 
 
 
というわけでとりあえず「推しについて」の初めての記事を終わります。
 
 
 
もう一回くらい今年を振り返るブログを書きたい気持ちはありますが、時間的に厳しいかと思われるのでご挨拶を。
 
今年はたくさんイルミィさんとの交流ができ、心温まる刺激的な一年となりました。
私がブログを書いてもだれも読んでくれないよなーと思っていて、自己満足を目標に書いているうちに思いの外反響をいただき、企画にも参加させていただくという光栄極まる出来事もありました。
 
本当にありがとうございます。うれしい。ひとりでは感じられないぬくもりを得ることができました。
 

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今年私に関わって下さった皆様に、心からの感謝を。
 
 
そして、来年もバリバリオタクするのでよろしくお願いします!!!!!!!!!!!!!!!!
 
 
 
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
 
またあなたにお会いできますように!!