HAGURE OTAKU DAYS

積極的に堰を切っていきたい

2020と2021の狭間で

皆様お久しぶりでございます。
 
ちよです。
 
 
今年の初めは割と意欲に燃えておりまして「ブログもたくさん書いちゃおうかな!」なんて決意はかなりの序盤で木っ端みじんもいいところ。全然書けませんでした。
本当に色々なことがありました。世界的にもそうですが、個人的にも色々。
1年通して印象が曖昧模糊としている割にもったりとしたとろみの中をスローモーションでもがいていたかのような感覚なので体感2年くらいあります。
 
まあ私がただただ2020を振り返ってみたいだけの文なので、ご興味のある方だけ読んでいただければうれしいかなと言う感じです。
 
 
 
まず思いつくのは、「推しの活動辞退」
(初っ端から!?)
 
そうですねこれ抜きでは語れません。それくらいの衝撃はありました。若干コロナより早めに来ちゃったのでむしろコロナは後手。
(ご存じない方のために一応補足しておきますと、アイドルの研修生をやっていた推しのひとりが今年2月に休みに入り、3月に脱退を発表、8月に完全に表舞台から去りました)
私は推しと呼ぶ人が多い人間だとは思うのですが、「ではこちらを」だなんていかないものですね。空いた穴は埋まることなくあり続ける。そこに目を向けると黒目がそのまま深い深い穴になるような心地がします。(ホラーみ)
たくさんいてもそれぞれが別々の「好き」であり、本当にひとりひとり特別な思い入れがあっての「推し」であるのだなあと自分で痛いほどわかった年でありました。
 
まあ今年の数少ないブログ記事の大半がこれなのでご存じの方には察していただけるとは思うのですが、
 
まーーーーーーーー全然まだ引きずってる!!!!!!!
この調子だと2021もまあまあ引きずると思う!!!!!!!!!!!
 
普段あまり口に出さないようにはしていますけど、今日は1年の総括ということで言わせていただきますね。
いやはや情けなくも全然吹っ切れてない。思ってた以上に存在感がえぐい。いや事実として飲み込んではいるんです。いるんですけどなんというか反芻が止まらないんですよね。永遠に咀嚼し続けてしまう。一生噛みしだいてんですけど全然まだ味するんだよなあ。うん。(よだれ垂れてますよ)
ああ、今居たらここでどのパートを歌っていたのだろう?このライブでは誰と組んでいたのだろうか?うう、この曲また見たかったなという幻を瞬きのたびまぶたの裏に見てしまう癖が治りません。最早イマジナリー推しと共に過ごしているといっても過言ではない。
特に今年は、現場が「配信」に切り替わったので、地方に住んでいる私でもその姿を見る機会が上がっていたはずだなあ、なんて考えちゃう。
そんなことはもう、絶対に起こりえないのだけれど。知っているのだけれど。思い浮かべるだけ、辛いのもわかっているのだけれど。その分だけ自分の無力なさまを思い返して凹んだりしてしまうのだけれど。
これはもう、時がどうにかしてくれるのを待つしかないと思っています。
無理に消そうとしたってきっとどこかに歪みが出るだけな気がするんです。何かを嫌になってしまうような気すらする。だからいっそ、そういう自分を責めたり嫌がったりはせず、このまま見守ろうかと。
 
好きなものをこれからも好きだと思えるために、無理はしない。というのが今年の答えです。
 
ただ「推しに代わりはいない」などと申しながらも、他の「推し」に支えられたというのも事実だったなと思います。
 
たとえば「無理はしない」と思えたのは、DDベイビーズの青野精一郎さんが毎週木曜やっている配信で「もしものせかい」という絵本を紹介してくれたから。(書籍買いました)
命あるものやそうでないものでも、いつかはくる「別れ」との付き合い方について、とても優しい考え方で書かれている絵本です。
「もしも」と考えてしまうことを否定せず、認めてくれるような内容に触れて、とても心が楽になりました。
私はDDベイビーズの中では青野さんと、その脱退した方が「推し」です。二人が同じ研修生としての活動をしていたのが仇となり、しばらくは「見たいけど」「見るのつらい」みたいな気持ちが付きまとっていました。しかしソロライブやこんな特殊な状況下で増えた新たなメンバーの「初お披露目」のペア、先輩とのペアライブ、舞台などたくさんの「新しい活躍の場」があり、めきめきと力を伸ばしている姿からは目を逸らすことの方が耐えられないと思うようになりました。
 
だってすごいんですよ!!
 
彼が研修生になってからもう少しで3年の月日が経ちますが、着実に、そして加速度的にその歌、ダンス、表情や表現力、自分の思う事を発信するということすべてにおいて研ぎ澄まされ上昇を続けているのがわかる。特に今年はそのスピードが尋常ではないように思います。
目の前のことをしっかりととらえて、考えて、次の行動に移すの繰り返し。こう書くと当たり前のように感じられますが、それを続けることを人は「努力」と呼ぶのだと思います。
その成果をつぶさに見せてくれてありがとう。これからもどうか応援させてください。
私はあなたの笑顔が好きです。やわらかくて、ぱっと花が咲いたように心があったかくなる笑顔。
ラジオ配信やプレイリスト共有など、定期的に自分を見せることを続けてくれているのも日常に溶け込んで色々な場面で支えられていると感じます。
声も、ダンスも、歌も、活動に対する姿勢も、本や、音楽や、アイドルなど、あなたが愛する世界も大好きです。あなたがアイドルを愛しているということが、私がアイドルを愛する理由のひとつになっています。
 
そう、「アイドルを推す理由」。
今年は個人的に「自分がアイドルを推している理由」についても考える年になりました。
もともと今までの人生で「アイドルを応援する」という経験がなかった私。何故今事務所ごといくつものグループを「推し!」と言えているのか。
推しの脱退やこの世界的な変化により否めない閉塞感の中、考える機会が多い年でした。
たとえば、脱退した推しを「アイドルでなくても好き」と思っていたこととか、2月に念願の舞台を観に行って「これだ…」と思えるほど満ち足りた気持ちを感じてしまったこととか。たくさん配信でその姿が見られることがありがたいと思う反面、普段ならこんなに見られない事実をなんだかちょっと申し訳なく思ったりとか。めんどくさいですね。めんどくさいんです私。
私がとんでもない「好き」に突き動かされるように、本格的にDD関連のブログなど書くようになってからもう数年が経ちます。
もちろん変わらず彼らのことは好きですし、アイドルが嫌いなわけでは決してなくて。
郷に入っては郷に従えではないですがその文化に染まろうとしては染まり切れていない部分が気になってしまったというか。
多分「染まろう」としている時点で不自然なんですよね。
染まる人は多分、気が付いたらすっかり染まっているんだと思います。
そんな風に思って、色が抜けていると思っている部分を後ろめたく感じて、もやもやしていた時期がありました。
 
でもそれが、どうしても「自分」なのです。
 
結局、そのもやもやは自分の推したいように推し続けて少しずつ晴れてきました。
できるようにしかできない!当たり前かもしれないけど、自分のできることをすること。日々の生活ですら覚束なくなりがちな不器用な人間なので、まずそこをしっかりして「生きる」こと。
よく考えたら「郷に入っては郷に従え」だなんて、誰に言われたわけでもありません。周りはそれぞれにそれぞれの推しを愛し応援しているだけなのです。それを見て勝手に焦っていただけなのです。
オタクの皆さんの「好き」も好き。だってすごく皆さんあったかくて、かわいくて、エネルギッシュに愛を表現してるから。だからこそ自分との違いが気になってしまったのかもしれません。
私は私なりに好きで。できないこともあって、それでもやっぱり好きで。
MeseMoa.さんはじめ、DDのアイドルグループが、アイドルじゃなかったとしてもきっと好きだけれど、私は彼らがアイドルである奇跡を愛している。そして彼らがそれを愛していると信じているから私も愛せるんじゃないかなと思っています。
…ちょっとごちゃごちゃしてしまいましたね。そしてこの気持ちは自分だけが守れるものだと思います。守っていきたいな。
 
こんなご時世で、好きなものの未来を思って「楽しみだな」って思える。
何が起こるかわからないし、誰も予想していなかった1年になったのに、楽観的な人間ではない私が「楽しみだな」って思えるって実は相当すごいことですよね。
 
 
そんなしあわせってないなって思うんです。
 
ありがたい…。
 
本当にありがたいことです。
 
 
「足りなかった」って正直悔やんでることたくさんあるんですけど、そんな人間が好きだなんて言っていいのかななんて更にそれで小さく萎んでいた今年だったので、2021年はもうちょっと「いやいや"好き"の声を出す"数"にすらならなくてどうする?」と、初心を思い出して、腹から声出していこうかな、なんて思います。
 
 
\\好きだ―!!!!!!//
(発声練習)
 
 
 
というわけで、来年もよろしくお願いします。
 
ここまで読んでくださった皆様にも最大級の感謝を。
皆様、良いお年をお迎えください!またあなたにお会いできますように。