HAGURE OTAKU DAYS

積極的に堰を切っていきたい

朔太郎さんだったあなたへ

2020年8月15日21時半過ぎ、賑やかな街の片隅のカラオケボックスで、真新しいリングライトを前に私は目を閉じた。
 
推しの、最終特典会が終わった瞬間だった。
 
遂に来てしまった。
 
 
 
これが「本当の終わり」だ。
 
 
 
彼は「アイドルを志す研修生」だった。
SNSの更新がぷつりと止まったのが今年の1月後半。嫌な予感がした。
2月の頭には「お休みをいただきたい」というお知らせがあり、「なるべく早く戻ってこられたら」という言葉を残したまま、その活動を辞退すると発表があったのが3月27日。その時にはすでに新型コロナウイルスの流行によりイベントやライブの興行が難しくなっており、「終息したら改めてご挨拶できる場を設ける予定」とのアナウンスがあった。
しかし一向にこの現状は変わらず、7月末にはTwitterのアカウントを消すとのお知らせと、「時間が経ちすぎた。新しい道を歩き出したので故人と思って忘れて下さい。来世で会おう」という旨のツイートが本人からされた。
 
私はこの間ずっと、「今なら戻ってこられるのでは?」などと考えたり、何が違ったらよかったのか、もし今居たらどんな姿が見られたのかなど夢想にふけり、その結果やさぐれたり、憤ったり、鬱々としたりした。いるはずもない映像に彼を見紛ったりもしたし、泣きもしながら「改めての挨拶」を待っていたので、そのツイートだけではどうしても納得できずに事務所にメールを送った。
「卒業公演は配信でできないか。できなかったとしてもどうにか直接動いている姿を見ることはできないか。肉声で挨拶を聞くことだけでも」もちろん、それがもうただの迷惑であるかもしれないことは重々承知だったが、必死だった。
その後、ありがたくも事務所から特典会としてInstagramを使ってのビデオ通話が発表されたのだ。
 
この7か月弱、何をしていても頭のどこかにじんわり悲しい影を纏った彼のことが滲んでいた。
 
避けることのできない真っ暗闇に落ちていくのをただ時のトロッコに乗って待つような日々だった。楽しいことを思い返すのも辛かった。
 
そしてある時ふと気づいた。
 
「これは”死”を待つことに近いのではないか」
 
ということに。
 
オタクにとっての推しの卒業・脱退・その他表舞台から姿を消す事態というのは、「その姿を推す自分」の死を宣告されているも同様で、私の心の変遷は、以前海外ドラマで聞きかじっただけの知識、「死の受容への5段階」に重なるのかもしれない。
 
彼が脱退を発表したとき、「彼が死ぬわけではないのだ。これからの人生がよりよきものでありますように」と願ったけれど、
 
死を待っていたのは、私だったのだ。
 
彼が夢を掴むべく在る姿が潰えることは、「彼を推す自分」が身罷ることなのだ。
 
私はこのことを今回初めて知った。
これほどまでに応援していた人が居なくなる経験は初めてだった。
 
 
8月15日のその日。
朝からどこか現実感がなく、でも「今日だ」という確かな予感。
頑なな緊張感はあったものの、やたらと心は凪いでいて、その様子は夏目漱石夢十夜の第一夜を思い出させたりもした。
それまで胸が抉られるように痛くなるので見る事ができなかった過去の映像や画像もその日は少し見られた。鎮痛剤が効いている時のような気分だった。話したいことを箇条書きにしたメモを眺めながら、限られた時間で話したいことが話せるように何度も頭の中でリハーサルをしようとしたけれど、どうしてもうまく想像できない。自分の膨れ上がった感情が未知すぎて、顔を見たら途端に弾けて泣いてしまうかもしれない、と思った。そうなったらそうなったで仕方がない。文字通り泣いても笑っても、これが最後だ。
 
その日はずっと前から決まっていた観劇の予定があった。特典会は夜だった。少しでも「初めまして、さようなら」を伝える自分の姿をよく見せたくて、このためだけに買ったリングライトをバッグに詰め込んで出かけた。
 
結局、私は終始へらへらと笑っていた。
 

用意していたメモの内容は大した脈絡もなくぽろぽろとこぼれ落ち、とりとめもなく言葉を交わした。穴空きだらけだったけど「好きです」「ありがとう」「会いに行けなくてごめんなさい」「助けてもらった」「さびしい」「一生推しです」などは言葉になったと思う。どういうところが、とか、何が、とかそういうことは全然話せなかった。前回の私のブログも読んだ、と言われた。嬉しい反面、若干気まずさもあったが、「こんなに影響を与えられる存在になれたことは光栄でした」と言ってくれた。

本当だったら全てを焼き付けたかったけど、瞬きのたびに強い光にさらされたみたいに頭が真っ白になった。タイマーの音が鳴ったのが聞こえて、焦って言葉を切った。
 
4分間はあっという間だった。
 
笑いながら、ばいばい!と言って、通話が切れて。
 
目を、閉じて。
 
看取った。
 
 
客観的に考えても、私は取り乱した様子ではなかったと思う。
私は嘘をつくのは下手な癖に、感情を外に出すのも下手だ。平気なふりばかりしてしまうのは損だってもういい加減知っているのに、どこまでも私らしすぎて苦笑した。
 
こんなに、痛いのに。
大好きなゆったりとした口調で話す姿を見られるのはやはり幸せだと思った。
 
でも痛みすら失くなってしまうのがいやで、ペンを握りしめた。
冷静ぶっていたけれど、体は正直で、手がまるで言うことをきかなかった。今見ても知らない人みたいな字で遠くに行きそうな記憶を追いかけて書き留めた。
いつだって人間関係に予防線を張りまくって傷つかないように傷つかないようにとしている狡い人間が、近しい人でも、ましてや友人ですらない人にこんな感情を抱くなんて思ってもみなかった。愚かだと分かっていたのに。
 
何故こんなにあなたが好きだったんだろう?
 
これも、幾度となく考えた。
苦しいということを強く感じるたび、それだけ好きだということを思い知らされるからだ。
一番簡単に言うならば「リアコ」なんだろうか。
どうしてもこの気持ちがわかる人に話したくて、呼びかけに応じてくれた友人と直後に通話をしたら「失恋した人みたいだ」と言われた。
恋?…かなり近い気がするけれど、違和感がある。
確かに私は「アイドルじゃなくても好きだ」と思った。
実際会ってみて、話したいと思った。アイドルはファンに夢を与えなくてはならないと言えど、綺麗なところばかり見たいわけではなかった。弱音だって、不安だって、聞けたらいいのにと思った。どんな話も夜通しだって「わかる」って聞くし、自信を失くしていたらおいしいものでも食べながら頭からつま先まで浸かるくらい褒め言葉を浴びせたいと思った。
 
そうか、私はきっと友だちになりたかったんだ。
 
友だちになりたい気持ちがこんなに強くなることも知らなかったし、そのままなれないなんてことが初めてで、なかなか捕まえることができなかったんだ。
私は「推し」と呼ぶ「好きな人」は多い方だと思う。
でもそれぞれ好きのベクトルは違っていて、「実際にそばにいたなら」と考えられる人とそうでない人がいる。どちらも「好き」ではあるのだけれど。「そばにいたらいいのに」と思うくらい、素敵な人だと思った。
 
そしてなんとなく、「似ている」と思っていたのかもしれない。
 
恥ずかしい勘違いで痛い戯言だと読んだ人全員、笑ってくれて構わない。
ただ、勘違いだったとしても人が人に興味を持つのに十分なきっかけなのではないだろうか。
 
だからDDベイビーズのブログに、「人前で泣きたくない」と書いていた時に「やっぱり」と思ったし、
「活動をやめたい」と言われても、その選択すら今や愛おしいと思えてしまうんだろう。
 
人から好かれる、というのは、実は嬉しいばかりではないと知っている。誰かを慕う気持ちはいつだって一方通行だし、求める気持ちは自分勝手だ。私は結局「在宅」でしかなかったし、そういった存在をもしかしたら薄ら寒く思うこともあったのかもしれない。でもひとつだって多くの「好き」を得ることが生業と言っても過言ではないアイドル稼業に「選り好み」は許されないだろう。
人からみる自分とありたい自分にはいつだって齟齬がある。
表舞台に立つと、多くの言葉に、視線に、思惑に、取り囲まれるということだ。
 
私だったら考えただけでとても耐えられない。
 
本当に、お疲れさまでした。
貴方が今、少しでも「辛いなー」と思うことが少なければいいなあと思います。
 
 
オーディションから研修生を選んでくれて、ありがとうございました。
 
 
 
 
 
「また、来世で」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
…とまあ、ここまで書き終えたのが特典会を終えて10日も経った8/25のことなんですけれども。
 
諸々日常に追われ、やっと文章にできたのがこのタイミングなのですが、その間も実は色々な変化がありました。悲しくて悲しくて、涙がこぼれないように表面張力でなんとか頑張りながら家族と過ごしたり、やっぱりあなたの不安を覚えるようになった「ステージ」を見ることができなかったことは情けなかったなと思ったり、特典会でもうちょっと言えることがあったのではないかと悔いたり、文章にしたいけどしたらしたで本当に「名前を呼ぶこと」が最後になってしまうのではないかと怯えたり…などなど。
 
当初はここで綺麗に終わろうかなとも思ったのですが、そのうちに実は気づいてしまったのです。
 
私はもう一度「死を迎えた」のだから、
 
今すでに「来世」なのでは!??!???
 
ということに!!!!!!!!!!(超解釈!!!!!!!!!!!!)
 
 
というわけで、
 
 
「朔太郎」を推す私はもう存在できなくなったのですが、
「名もなき一般人」である「友達になりたかった人」の人生はよきものであるように全力で応援しています。
 
しかし人生、今後も色々あるでしょう。
 
いつだって本気で褒め倒すし、どんな話だって聞くので、よかったら覚えておいてください。
あと、LINE LIVEツイキャスって、一般人でも出来るんですよ知ってました?(知ってると思う)
何年後でも、楽しかったなーやってみようかなーって思ったら「来世なあなた」で現れてください。
 
 
 
 
私は、いつまでだって「ここ」で待っています。