HAGURE OTAKU DAYS

積極的に堰を切っていきたい

2019年の推し、2019年のわたし

皆さまお久しぶりでございます。

 

ちよです。

 

はじめましての方も何度目かの方も、お会い出来てうれしいです。

年の瀬も押し迫った12月。今年も振り返りの時期がやって参りました。

 

…とか下書きしたのが多分半ばなんですよね。

そう、もう今日は大晦日です。え?タイムスリップ???うそでしょもうあと15分で今年終わっちゃう!!!!!!!!!??????????

 

去年の12月、イルミィ(9人組ボーイズグループMeseMoa.さんのファンの呼称)さんたちのアドベントカレンダー企画に参加させていただいたのがつい…5か月くらい前のことのように思います。(リアルな体感速度)(年々ジリジリ削れていく)

 

その企画のテーマというのが『2018年の推し、2018年のわたし』ということだったのですが、とても良いテーマでしたので今年もそのまま丸パクリ拝借させていただきまして、ブログをしたためます。

 

今年は思ったよりも現場に足を運ぶことのできなかった年でした。

 

わかってます。居住地も、年齢も、仕事や家庭の事情も、結局「言い訳」と一蹴されてしまう考え方があることを。何があろうと、現場に数多く赴き、お金を注げたことが強い説得力を持つ側面があることを。

 

マネーイズパワー!!!!!!HAHAHAHA!!!!!!!!!!!(誰)

 

そんな意見を現場に焦がれて焦がれて灰になりそうな時に限って見つけてしまったりするんですよね。

そうです、考え方は人それぞれ。

それぞれの主義主張があって当たり前、とわかっていてもそれなりのダメージを受けて「知ってる!知ってるよォーーーー!!!!!私にだって事情ってもんがあるんだよーーーーー!!!!!!!!!」と突っ伏して泣き喚きたくなるような気持ちになったりして。

俗にいう「病む」というやつでしょうか。

どう考えても病むって非生産的ですよね。「ああ、私なんてファン失格…いなくなってしまえばいいんだ」なんて自虐の極みの地点にまで行ってしまうと、自分にとっても、応援する対象にとっても、なんのメリットも見いだせない。だって少額であろうと、1枚のチケットやCDであろうと、数が減ってしまうわけですし!!塵も積もれば山となるの塵であろうと存在するとしないのとでは違いがあると思うんですよね!?(争奪戦の場合はまた話が変わってきますが)(それでも「好きだ」と意思表示ができる人間の母数が多いというメリットは確実にありますよね)

ただ、理屈はわかっていても、まだまだ悟りが足りない私は惑います。必死で振り払いつつ、ちょいちょい憑りつかれて、散々バカバカしい追いかけっこを繰り返した挙句、なんとか今辿り着いた安全地帯としては、

 

「結局私は、私の人生を生きるために推しを推しているのだ」

 

というところでしょうか。

推しに元気でいて欲しい。夢があったら叶えるためにできることはしてあげたい。いいパフォーマンスをしてほしい。素敵な人に囲まれて、たくさん笑って欲しい。ずっとずっと、表舞台で輝き続けてほしい。

 

何故なら私が元気になれるからさーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!

 

というのがやっぱり私の本音であり原点だということです。

エゴオブエゴ!ストレートに欲望!!だから何でしょう?????

私は生きることが上手な方ではないので右往左往しながら目の前のことをどうにかこなすので精一杯です。正直疲れ果てて「人生ってなんなんだ…」と焦点の合わない目で遠くを眺めることがよくあります。365分の360日くらい、だいたい夕方はそんな感じです。まあ言ってみればデフォルトが病んでるのかもしれませんけれども!

加えて今年はなんだか色々ありました。

人生って本当に何が起こるのかわからないですね。

いつまでも推しがいると思うなよ、というのも間違いのない真実ですが、自分の体だって当たり前に自由になるわけじゃない。今まで特に大きな病気をしたことがなかった私が、今年は3月に風邪をこじらせ難聴で入院し、9月にこれは一生つき合って行かなくてはならないのかしらという別件が判明しまして(命に直接関わるような病ではとりあえずないです)検査検査検査しまくりの3か月でございました。そりゃ爆速で過ぎ去るわ!!!!!!!!!ハハッ!!!!!!!!!!

でも推しを見て「ああ、好きだなあ」「よかったなあ」「明日も見たいな」「また現場に行きたいな」って思えることが、私にとってめちゃくちゃ重要なことなんですよね。

その原動力が欲であろうとゴリゴリのエゴだろうと、いやむしろ欲があるってことは生きてるってことですしね。

 

その気持ちを奪い去ることなど、誰にだってできない。差し上げるつもりもない。

 

そう思えたのにはMeseMoa.さんのファンであることがやはり大きく関係しているのだと思います。

 

 

実は今回MeseMoa.Ch8ツアー北海道公演に、私は初めて息子と娘を連れて参加しました。

そもそも私は、自分の趣味に周りを巻き込むタイプではなく、どちらかというとひとりで好きで居られればいいというオタクでした。特に母としての顔と、オタクとしてはしゃいでいる顔とが自分の中で全然うまくなじまないので、しっかり分けた方が動きやすいと思っていました。

しかし子どもたちが少しずつ、

動画を見ていると「ママ、何見てるの?」「これは誰?」「ママは誰が好き?」などと言い始め、

去年のツアー時には「どこへ行くの?」「いいなあ!行きたい!連れて行って!!」とせがむようになって来てしまったのです…。興味を持たせないようにするのは無理でした。

前回は「ライブハウスはね、危ないんだよォ」とか何とか誤魔化してきたのですが、なんと今回のツアーはホールツアーな上に『親子席』というものが出来てしまったのです。すごい!!子育てする人たちにも優しいMeseMoa.さん!!!!!!!

嗚呼!!!!!!どうしよう!!!!!!!!

即決!という訳にはいきませんでした。

だってそれなりに大きくなってきたとはいえ、この子どもたちに長時間のライブに耐えうる力がついているのかは未知の体験すぎてわかりません。彼らは本能で生きています。よくよく言い含めたって開始30分で「ママ、まだぁ?」とか言い出さないとも限りませんし、一発目の大きな音に驚いて泣くかもしれません。運よくその場にとどまってくれたとしても、仏頂面でステージをにらんでいるかもしれない。今までの経験上、そのすべての可能性を否定できないのです…。

でも、絶対に楽しいということは私が一番よくわかっています。その楽しさはやっぱり現場に足を運んで身に染みて享受できるものだということも。子どもにそれを味わってもらいたい。でも、押し付けたくもない。それにやっぱりこんだけ揺れに揺れてんのに母親とオタクが自分の中でまるっきり混ざり合わない!!!!!!!!!!!水と油かよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

ああああああああああああああああああああああああ……もういいや連れてこ。

 

(悩む体力が尽きた)

(だいたい万事この調子です)

 

というわけで連れて行ったのですが、結果子どもたちはとっても楽しんで観ていました。最前列でファンサを貰った息子はすっかりとみたんに心を奪われ、娘は小さな背で一生懸命上を見上げて歓声をあげていました。その横顔を見たら、見たらね、親としては本当によかったなという感想しか出ませんよね。

 

親としての私は120%満足。端的に楽しかったし、一緒の空間を楽しめたことは非常にありがたかった。でもオタクとしては体感的に3割くらいしかステージ見てなかった感じ。正直記憶があんまりない。同じ人間の中でこんなにも相反する気持ちが共存するものかと思います。

 

そんな自分に「これでいいのかな」なんてちょっとだけモヤモヤしつつ、親子席のチケットは予め1回しか取っていなかったので次の日のライブは子どもたちを旦那にお願いし、参加しました。

やっぱりオタク的には当然こちらの方が落ち着いて観られるなぁ、などと思いながらライブを見終え、最後に特典会に参加し、私の推しである気まぐれプリンスさんの元に行きました。

「昨日、親子席に居たんですけど、今日は置いてきちゃいました」

開口一番そう言ったのは、今考えるとどこか自分の中に懺悔の気持ちがあったのかもしれません。

それに、彼は知ってる、見えてたから~!とカラカラと笑い、

 

「ママほんま頑張ってるよー。子育て大変やのに、趣味もちゃんとして。えらい!!」

 

と言いました。

私はうっ、とその瞬間、言葉に詰まって、はい、と笑ったような気がします。

誰かに言って欲しかった。その言葉を、まさか尊敬している推しに言ってもらえるなんて。すごく幸せなことだと思います。その瞬間から私の心は、じんわりと何かに守られているように、子育てで挫けそうなことがあっても、推し事が思うようにできなくて悔しすぎて病みそうになった時があっても、

 

私は私の好きを大事に生きて行こう。

 

そんな風に思えるようになったんだと思います。

 

というわけで、2020年も推しに感謝して推して参りたいと思っております。

 

 

滑り込みセーフ!?????!?????ねえセーフだよね!!!!!!!!!!

 

 

それでは皆様、よいお年を!

またあなたにお会いできますように!!